水をぶっかけた悪妻を天才・哲学者はいかにいなしたのか。
天才? 変人?あの哲学者はどんな「日常」を送ったのか。ソクラテス<中>愛と結婚編
プラトニックラブの語源となった出来事
ソクラテスには妻とは別に「愛人」がいた。しかもその愛人は女性ではなく、男性だった。愛人の名はアルキビアデスといい、当時のアテネの人びとに絶世の美男子として知られていた若者である。男性同士が愛情の関係を結ぶことは、当時のアテネでは珍しいことではなく普通のことだったらしい。西洋で同性愛が悪徳とされるようになったのはキリスト教の道徳観が普及した後のことで、それ以前では特に年上の男性が若い美少年を愛でるという風習が多く見られた。
プラトンが書いた『饗宴』という対話篇で、ソクラテスとアルキビアデスの愛が描かれている。
ソクラテスはアガトンという詩人の祝宴に招かれて、珍しく立派な服を着飾って出かけた。宴の席では余興として出席者たちが順に「愛」を賛美する演説を行っていった。ちなみに出席者の中には前回の記事でソクラテスを風刺した喜劇を作ったと紹介したアリストファネスもいた。和気あいあいと演劇論を交わしたりしたそうなので、ソクラテスとアリストファネスの仲はさほど悪くなかったのかもしれない。
最後にソクラテスの番となり「人は愛をすることでイデアを知ることができるようになる」という趣旨の演説を行うと、宴席は大いに盛り上がった。
だがここで突然、どこか別の所で呑んできて酔っ払ったアルキビアデスが乱入してくる。そして、順に愛について演説を行いソクラテスが素晴らしい演説を行ったと聞くと、アルキビアデスも酔いに任せて長広舌を振るった。
ある夜、アルキビアデスは愛するソクラテスと二人っきりで過ごす機会を得た。自分の美貌に自信を持っていたアルキビアデスは思い切ってソクラテスに愛を告白し、身体に抱きついた。しかし、ソクラテスは一晩中何もせずに、ただ横で一緒に寝ていただけだったという。
プラトンが書いた創作の話ではあるので事実かどうかはわからないが、いずれにしてもこの時のソクラテスの態度が現代でも使われている「プラトニックラブ」という言葉の語源となっていく。現代では、男女の間の肉体関係が無い清らかな交際のことを意味する言葉だが、もともとは中年男と若い美少年との関係のことだったのだ。
アルキビアデスは、クサンティッペがあまりにもがみがみと口うるさいのでもう我慢できないとソクラテスに言ったことがあるそうだ。それに対してソクラテスは「いや、ぼくはもうすっかり慣れっこになっているよ。滑車ががらがら鳴り続けているのを聞いているようなものだからね。君だってガチョウがガアガア鳴いているのを我慢しているじゃないか」と答えた。アルキビアデスは納得せずに「でも、ガチョウは私に卵やひよこを産んでくれます」と言うと、ソクラテスは「ぼくにだって、クサンティッペは子供を産んでくれるよ」と切り返した。